過去の自分への反省文

 

人からどう思われるかばかりを気にし、人の顔色を窺うあまり自己主張ができず、人から拒否されたり批判されたりすることを極度に恐れる。

このような率直に自分を出せないタイプが日本人にはとても多いらしい。私は20代前半の頃はこの考え方が理解できなかった。というか存在を認知していなかった。

 

こういったタイプの人間は「回避性パーソナリティ障害」という名前で分類されるようだ。20代前半の私はこういう人たちは「周りを気にする気遣いの塊、聖母のようなタイプの人間」に思えていたのがどうやらそれは全くの間違いで「自己愛過剰」の一種らしい。

日本人に多い引っ込み思案で神経過敏なタイプの自己愛過剰は自己を傷つけられるのを恐れ、内面は攻撃的でプライドが高いようだ。

 

なんてこった!と、とにかく驚いた。

昔の私はそれらのタイプの人間は自分の考えがない人間だと思って「しっかりしろ!」だの「君は何を考えてるの?何がしたい?」だの、四六時中嫌がるような発言をしていた気がする。

いや、当時も今も「考えていることを発言しない=考えていない」と同等であるとは思うしし、「空気読め」「わかってくれ」的な考えは甘えだとは思う。

 

けれど、それは正論だけれど、ね。

結論はそうじゃないな。と今は思う。

 

ここ最近は子育てでメンタルが不安定になったり、自分が子連れの若い母という社会的に弱い立場に立つようになって、社会に渦巻くいろんな人間の考えを知るようになった。

 

みんな最初から筋肉がついた人間ではない。腹筋100回しろって言われて努力して何年かけてもどうしてもできない人っている。努力すらできない人もいる。世の中には私の想像以上にいろんな人がいて、いろんなことができるスーパーマンみたいな人がいて、それと同じぐらいできない人もいる。

色々な出来事を取捨選択して今そこで生きている様々な人間の一瞬を捉えて「甘え」「努力不足」で片付けるのは正論だけど真実ではない。

見知ったつもりでついつい説教を垂れてしまう20代前半の私。若いね。若さだね。

 

傷つけてしまった人の気持ちを抱えながらこれからはこれまでよりもう少し優しく生きていこうと思う。きっと夫のこともまだ知らない面がたくさんあるね。